嗚呼、青春の街 渋谷
10代で上京してから早20数年。大田区池上からその生活は始まり、明大前、富ヶ谷、中目黒、旗の台、そして板橋と6回引っ越しをしました。
仕事柄、練習モデルを探し続ける休日を過ごしたのですが音楽好きだったこともあり渋谷にはよく通いました。WAVEやタワレコ、HMV、マンハッタンにシスコ、ディスクユニオンにレコファン、MUROさんのSAVAGE!の下のSOUNDS OF BLACKNESS、瀬場さんとの思い出の詰まったGUINNESS、ブート盤がズルかったリバプール、地下にあったDMR、ブラジル系ならMr.BONGO、レゲエならライオンミュージックDENなど、レコ屋をチェックしながらモデル探しをしていましたねw 宮益坂の東急の五島プラネタリウムにはデートで何度か行ったし地下の映画館ではショーシャンクの空にを観ました。
宮下公園ではサッカーをやったり缶ビール飲みながらグダグダ話したり作品撮りをしたり、
エッジの効いたPIED PIPERを眺めたりスラップショットでアメカジ気取ったりキャットストリートをスケボーでプッシュして通勤したり。
年齢的なものや城北暮らしの為、あまり渋谷をブラ付くこともほとんど無くなりましたが、たまに歩く渋谷で気が付くのは今では消えてしまった古き良き風景。レコ村で何店舗ものレコ袋をぶら下げて歩くB-BOY(掘った証!)、センター街のギャルたちなど懐かしさすらあります。
間もなく開催される東京オリンピックに向けて渋谷の街が上へ横へと大きく成長しています。懐かしさと新しさが入り混じる僕らの渋谷も息子には最先端の未来です。
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